沖合いの島・後編 冬風 狐作
 その時であった、開いた窓から何かが侵入してきたのは。だが今、耽っている事にすっかり集中している光夫が気付く事はなかった。ただ酷くゆっくりとした物に対してにじり寄るのを許し、その間に部屋の暗闇の中に消えていく。
「ひぁ・・・っ!」
 そして一際高い歓声、いや嬌声が上がったのは間もなくであった。そしてとにかく大きく、これまでに無い小刻みな震えを以って、それにしてはしっかりと片手を机にかけながら激しく、しかし機械的に逸物を扱いているその姿へ瞬く間に変わった。背筋はやや丸くなっていてピンとしていた面影は微塵もない内に彼は低く唸りだす。理性とかそう言う類も殆ど残っていなかったのだろう、だがわずかに異物が内股の大腿部に付着したのは感じてはいた。しかしだからと言って何をするでもなかった。
 うねっと動くそれ、動く度に何か白っぽくもある軌跡を残す有機的な窓から軌跡を残すそれ。窓の下の床に盛大に飛び散った跡を残してその後は一筋に、光夫の大腿部と床の接する所まで。そして大腿部に沿って内股に続く痕跡とそうして肌に付いている姿は異質であった、見るからに不快と言う印象は否めなかった。しかし前述の如く、彼が取り払おうと言う素振りは見られず、ただ素直に受け入れていると言うのが相応しく考えられる。
 理由は快感に悶えている故だからだろう。最早その様な頭、それ以前に気が無くなっていたと言う事情に助けられてそれは思うが侭に動いていた、そしてようやく達した終点にて股間と睾丸の裏の柔らかく膨らんだ筋に頂点を当て、その身を内股より外れる。
 当然、その身は重力に引きずられた。しかし落ちない、少しばかり、長く身を伸ばしてやり過ごしたそれは股間に噛み付く。いや吸い付くだろうか?とにかくは一種のヒルの様に、その柔らかい肉に頂点をすっかり突き当ててそして外れずにぶら下がり、今度は縮み出す。上に向かってすすっと・・・いや、それは違った。
 縮むのではなかった、中に潜り込んでいるのだ。最早その頂点は良く見るともう表に見えてなく、代わりにその下にあった部分が今、正に接して中に潜り込んでいくのが見て取れる。それをより表しているのがそれの背中にあった3本の縦筋であろう。明らかに頭からはしばらく離れた所から始まっていた筈のそれが、皮膚と接してうねうねと沈んでいくのは明白な証拠以外の何物でもなかった。そしてその形、ふと何か見覚えはないだろうか?そのテラッとした表面に、ぶょっとして蠢く胴体、体その物、正に異形と言える姿に。
 そうとしている内に見る見る間に消えていく。光夫の肉体へ1つの穴を刻んでは出尽くしたと見えていた精液をダラダラと壊れた水道の如く、大いに漏らさせ舌を突き出させるなりぴくぴくと震わせて、眼光をとうに失って。最早竿を握る手すら既に動かず、握ると言うよりも形だけ添えた感じで机に寄りかかってはすっかり支えにしている有様。
 恐らく、その中に潜り込んでいった異形によるのだろう。すっかり姿を消した一方でぽっかりと開いた穴からは血の一滴も垂れる事無い代わりに、その穴の入口の空虚さを隠さん、と言うかのごとき、新たな動きが現れていた。
 動きとは盛り上がりだった、正確には穴の中から送り出されてくる肌色の塊。恐らくはその穴があった所を構成していた物質、つまり光夫の体の組織の成れの果てなのだろう。まるで消化された何かであるかの様に変色したそれらが、すっかり元の形を失った柔らかい塊となって出て来ては、次第に重なり膨らみを以って穴の周りを飾り立てていく。
 その様な異常な事が、急所たる部位で起こっていると言うのに光夫は相変わらずの痴態を呈していた。それは最早手遅れとも言えるのかも知れない。とにかくはひたすら呻き喘ぎ、涎も盛んに垂らしている事により印象として受ける水っぽさは、不思議と体内へと消えて行った存在と被ってしまうのは気のせいだろうか?
「・・・つ・・・ああぁっ!」
 そしてその時だった、不意に眼光が戻り絶叫が走ったのは。びくびくっと激しい痙攣をして竿を握っていた手が思わず離れ、腹部を盛んに撫でると言う意味の無い動きを始めたのは。苦悶の表情が瞬時に強く浮かび、次第に落ち着いていく。それはわずかな時間であったのに違いなかった。そしてその後、正確には覆い隠される様にして、時として沸き出でた尋常ではない量の汗によって鮮明さを失っていくのだ。
 異様な汗は瞬く間に全身を覆っていくと共に、すえた独特な匂いが同時に香り出したのは気のせいだろうか?それほどまでの匂いが一種の香りとなって、途端に部屋を満たしそれ以外の匂いの類を瞬く間に打ち消していく。
「うっうっ・・・ううっ」
 痙攣の度に呻く声が響く、噴き出た汗は瞬く間に質量が見るからに重そうな粘着性の物になり纏われていく。そして体に色が付き始めた、そう足並みを揃えたかの様にして緑色と灰色を混ぜて酷く薄めた様な色へ、更に出現したのがあの茶色い3本の体に沿った筋。それはあの体内へと潜り込んでいった、あの存在と全く同じ色と模様だった。
 何よりも体自体が溶ける様に形を変え出していた、髪の毛すらもあの粘着質、粘液の中に溶け込んで姿を消し、代わりに角の様な一対の存在が立ち上がる。背中伝いに流れた粘液は尻の上部に大いにたまったかと思えば、そのまま庇の様に突き出して三角形のわずかにカールした一種の尻尾にも近い形を形作られていた。

 その姿は確かに人であろう、だが上に書いた異変が確かに、と言う言葉を人の前に与え首すらも、かつてと比較するとずっと括れが不明瞭に近くなっていた。だがそれでも何とか残存しているのがせめてものなのだろうか?
「あ・・・うう・・・うんっ」
 声も出ている、それは矢張り光夫の声であった。しかしわずかな甲高さも混じっているのを漏らしつつ、彼は何時しか空けた両手をその胸に持って行き、ふと乳首を、そして全体を手にかけ盛んに動かし始める。それは捏ねる様に、パン生地を膨らませる下準備をする手の如く、丁寧にねっとりとするのには艶かしさすらふと見えてしまう。見えてしまうと言う印象にはテカリ具合が余計に反映されているのだろう、揉んで抓って揉んで、その繰り返しの度に蠢く体がますますその印象を強くさせるのだ。
 そしてそれは次第に形となって行った、動かす事によって粘液がより発散されたからだろうか。膨らみ、明らかに粘液の下にある体その物も引き出されては形となって固定化されていく。しかし弾力あるそれは・・・傍目に見ても正体が知れるだけの整いぶりだった。
「ふぁ・・・ふぁぁぁ・・・アあっ」
 いきなりの大痙攣、途端にがっくりと前のめりに倒れたその体は何と言うことだろう、まるで芯が無いかの様にぐにゃりと鳩尾付近を境目に曲がり、有り得ない曲線に折れてしまう。そして何かがぼとっと複数落ちていく音が部屋に響いていく。それも静かにボトォ・・・ボトォ・・・ッと、これまでの変化振りを否定するかの様な気配すらさせる緩慢な音で。まるで永遠に流れていくかの様な気配すら纏って。

 時間は流れた、雨はまたも、あの梅雨の日の時の様に上がっていた。ただ夕焼けの代わりに見えるのは満月に間もなく迫る月、そしてその青白い光が部屋の中へと差し込んでいるその先の姿。
「ああ・・・カトガミサマァ・・・」
 その中で呻く様に漏らされる声、そこには床の上に無数に転がり山の様になっている白く丸い粘液に包まれた塊に半ば体を沈ませて、それらを愛でる様にしながら口に運んでいる異形の姿があった。律儀にも机の上に置かれた、片面を開いた筒の前に供物の様にして置かれているのがそう、矢張りその白い塊を構成する1つの球なのに違いない。
 それらは何れも粘液に包まれていた、それこそどろっとして1度巻きついたら取れないのではないか、と言う予感をさせる代物で、その中にいる姿もまた同様であった。それには顔があった、かなり変わってはいたがその目の輝きはあの光夫であるのに違いなかった。
 そしてその口からはしきりに「カトガミサマ」と言う単語がしきりに漏れていた。実はこの言葉は先ほどからずっと呻き声の中に混じって口にされていたものであり、今、落ち着いたからこそ正確に我々の耳に入って来ると言う訳なのだ。とにかく口に運びつつ時折、前後に体を動かす様は何とも拝礼している様な姿ですらある。改めて見えるその姿は矢張り異形と言うに相応しかった、頭にある一対の先端が小さく丸くなった触覚に、胸の明らかな豊満な胸、そして全身の色と粘液と来てはもう何を言わんや、であろう。
 ひたすら咀嚼する姿は正に純粋と言う言葉が似合っていた、そう白い塊・・・卵を。先ほど自らが産み落とした、あの窓から侵入してきた「異形」によって孕んだそれらをひたすらに、例外として机の上に捧げられた物以外、時間をかけて食べつくしていけばいくほど、体に纏われていた不明瞭さは消えていき段々とその変貌した体の輪郭がはっきりとし始めた。
 それは矢張り人と同じ形をしていた、しかしもうこれは書いた通りの色、テカリ、粘り、そして柔らかさによってすっかり違う物に置き換わっていた。そしてその股間には直立する逸物が透明な粘液を垂らしながらそそり立つ。
 逸物に手を添えてしばし彼はそれに耽る、ゆったりとしかし感じているのをあらわとする様にかすかに震え、気が付けば射精していた。何時の間にかと言う具合であるが、量は多く心底幸せそうな顔をしていた。そしてまた何時の間にか、音もなく彼は部屋からいなくなっていた。ただテカッとした粘液の残滓、そう足跡が部屋の外へ続いているから外の廊下、さらには階段を経て階下に降りたのだろう。その階下からは折りしも何かの音が強く響く、夕暮れであった。

「さて・・・あの家の息子とおっ母は目覚めたようじゃのう・・・」
 それからほぼ時を同じくして、集落の中心にある社の中でその様な声が響いた。
「そうじゃそうじゃ・・・おお感じるのう、新鮮な物を・・・」
 幾らかのざわめきの中での声だった、それを受けてざわめきはさらに大きくなる。
「静まれよ、まだ始まりに過ぎぬ・・・数日後の満月の晩、それが本番であるぞ?」
 その声を受けてざわめきは少しばかり収まった、そしてその空間にも矢張り、光夫の部屋に満ちたあの妙に澄んだ匂いが色濃く立ち込んでいる。
「さて・・・今夏の主役殿はどうかな・・・?」
「はっ、しかとその務めを果たしておりまする。」
 問いかけに対して、しっかりした声が返ってきた。それに対してかけた方は満足そうに頷く。
「良い良い・・・それで良い、そう言う者こそ必要なのじゃ・・・何あてつけではないぞ?あくまでも適性もあるからのう」
 その言葉に声を返した者はふと身を震わせたようだった、だがそれを一方が静める。
「何、気にするでない。お主にはお主の本分が早く目覚めたのみ、それは天分、だからこそ気にするでない。さて、皆の者。我らはそれを労い迎え入れる準備を続けようぞ。カトガミ、クジガミの御両神様もきっとお喜びになられる」
 カトガミ、クジガミ、その言葉が飛び出た途端は歓声だった。そして沸き起こったそれらには先ほどから強く、威厳ある言葉を振るっている2人も静観し、向き直って矢張り頭を垂らす。その頭の一対の、触覚を振っては曲線を体に描かせて。それに従う様に周囲も頭を垂らし、一斉に静まり返った。それは正しく礼拝であった、儀式であった。
 彼らの先にあるのは質素な祭壇であった、そこにはやはり一対の祠がおかれておりその扉は閉じられているが格子であるので、中に置かれている白い筒、そう光夫が盛んに机の上に置いて拝礼とも言える姿を取っていた物の大きな物が鎮座しているのが見える。
 そしてその上には神額が掲げられていた、一方には「蛞神」、もう一方は「蝓神」と。それぞれカトガミ、クジガミと読む。これを見て気が付いた人はいるのではなかろうか、その祀られている者の正体を。何よりもそれを祀っている者達を・・・有り得ない方向に体を曲げて作られる曲線、全身に纏ったテカる粘液、独特な色合いと背中の三本筋の線、そして匂い。
 彼らは雨を好む、湿気を好む、そして色もまた好む雌雄同体、即ち"蛞蝓""なめくじ"。ここはそんな彼らの島、ただ人と同様に二足で歩き、普段は人の姿に身を宿すも一度あればその本来の姿となる異形の住まう島なのだ。今のこの時点で、島にいる人間はただ1人。そう彼、駐在員にして光夫の父である男しかいない。その彼は急な仕事で今晩は徹夜である、恐らく明日も急な仕事で帰れないことだろう。
 そして何も知らずに夏祭りへと行くのだ、疲れたその体で、しばらく帰れなかった事を悔やみつつ落ちあう事を連絡した家族との出会いを楽しみに行き・・・祀りの主役となる定めと知る。そして前任者がどうなったのかもそこで知るのだから。

 雨はまた、降り出していた。何もかもを包み込んで。なお「蛞神」とは男神、「蝓神」とは女神であるのを最後に書いておこう、それが彼らに対する敬意でもあるから。そしてこの南国にある湖の島へと彼らを封じて以来、万一、彼らと遭遇した際の知恵である、と言うのがこの湖畔に伝わる密かな言い伝えでもあるのだから。そしてそれを知らねば教えられるべく連れ去られ戻って来れないと言うのも、密かな伝承なのであった。


     完
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