「んっ・・・ふああぁっ・・・。」
カーテンの隙間から薄い光が差し込む頃、ようやく岡本は目を覚ました。
例えばそれは掌に足、腰そして頭、何とも忘れ難くそして奇妙な痺れであった。ただ何か麻痺するとかそう行った事は一切無く、ふとおもむろに右手を何度も握り開いても違和感はゼロに等しくそうこうしている内にその痺れの感覚すらも薄れてしまう。
余りの呆気ない幕切れにどこか再びぼうっとしながらも立ち上がろうとした時、再び不意に感じた強い電撃の様な痺れに今度は背筋が襲われ全ての動きが止まってしまう。ただ視覚と聴覚だけは正常で呼吸も絶える事無く続いており、その他の機能が全て失われ停止してしまっているだけだった。
そして思考をも停止し、と言うのはあくまでも自分の思い込みに過ぎなかった。思考は健全にそのまま生きていた、そしてそれに気が付いたのはこれもまたいきなりで突拍子な出来事によってであった。そう脳裏に思考の中に何者かの声が響くなどと言う有り得ない出来事によって。
"おい・・・お前だな?今朝ほど我が社に詣でたのは・・・。"
「ん・・・?頭の中に声・・・?」
そう呟いて辺りを見回す岡本、だが当然誰の姿も無い。
「夢でも見てるのか・・・?」
"こらっ夢で片付けるでない・・・折角お前の願いを叶えてやろうと直々に参ったと言うのに失礼な奴だのう。"
再び辺りを見回すが結果は同じ、いよいよ彼は訳が分からなくなりかけていた。気がおかしくなる前兆なのかとも思いもしたがその度にその声はそれを否定して何事かと話しかけてくる、それが数回繰り返された所でようやく岡本はこれが夢ではない事に気が付いた。正確に言えばようやく霞の様に頭を覆っていた眠気が晴れ渡り意識がしっかりとしたからであろう、そして声もまたその時を狙ったようにふと呟いた。
"ようやくわかったかね?夢ではないと・・・鈍いのう・・・。"
「鈍いだって?そんな事は・・・。」
"まぁまぁ一々口にするでない、想えばわしにはしっかりと伝わるからの。わしはあの神社に祭られている者じゃ・・・これでわかるであろう?ではさてさて正気となった所で目的を果たすとしようかね・・・。"
"目的・・・?何が目的で自分に話しかけてくるのです?"
"あーわかっておらんのか、いや忘れているのかもしれないが・・・お前が先ほどわしに願った事を叶えてやりに来たのだよ。こうも近所であるからな。"
"近所・・・?願った事って俺は特に誰かに願う事なんて・・・。"
"あったんじゃよ、全く酔っていて覚えておらんようだがお前さんはいきなりわしを叩き起こしたと思ったらこう願ってきたのだよ。異動しなくて済むならお稲荷さんになっても良いとな。"
そう呟く謎の声を耳にした時に岡本は何か嫌な予感を感じた、だが良くは分からない・・・それでもその言われた言葉の中からどうにも気になる単語を掴み上げるとそれを含めて尋ね返した。
"お稲荷さんになるって・・・それはつまりその。"
"つまりも何も・・・お前さんは異動しなくて済むなら人ではなくなっても良いとわしに願ったと言う事じゃ。そんな事を願われたのは正直初めてでのぅ、それに余りにも真剣で強い思いであったからこうして来て見たと言う訳だよ。わかったかね?"
"と言う事は俺は・・・あの酔っていた時の事なのでそう本気にされなくて良いですよ、いやむしろいいですから・・・。"
明確に思い出した訳ではないが酔っていた時の記憶の中に、薄っすらぼんやりとその言われた事柄と共通する物が存在していた。途端に今度こそ岡村は慌てつつ思いを紡いで伝えた、だがその想いに対して返って来るのはつれない物ばかりで期待していた手応えが全く得られない。まるで良い様に遊ばれている様な気すら強くその応対のされ方からは感じられ、そして一方的に打ち切られてしまったのである。次の様な言葉を言われて・・・。
"女々しい奴だのう・・・人の男に相応しからぬな、余計にお前さんの願いを形としてやりたくなるばかりじゃよ。もうこれ以上言い合ったところでわしは変えるつもりは滅法無い、むしろお前さんの言葉を聞けば聞くほど気が治まらぬのう。"
"そっそんな・・・だから俺は・・・。"
"ええぃうるさい、男に二言はなしと言う事を知らんのか。"
岡村はまるで乗せられるようにその勢いに飲まれる様に当然知っていると答えてしまった。すると途端に声の調子が一変し余計に嘲られるかの様になってこう言われた。
"かかかかっ知っているのなら尚更じゃ、お前の願いを叶えてやる他は無いのう・・・相応しい姿を与えるとしよう。有難く受け取るが良い・・・では参るぞ。"
それ以降何を想いそして口で喚いても反応は全く無かった。帰ってきたのは空しさだけでただひたすら募るのみ・・・耐え難い以外の何者も無かった、そして苛まれつつあると感じたその時再びあの痺れが先ほどと同じ各所に戻ってきたのは。それに対して反射的に岡村は己の掌を見つめ絶句する事になる。
デスクワーク的な場所での勤務が主流であった岡村は全体的に色が白い、これは元からの生まれ付きでもあるので特に奇異な事ではなくむしろ背の高さとあわせて少し自慢にしている所もあった。
だが今目の前に見えている掌にはその様な自慢は及ばなかった、わずかな余地こそあったがそれではとても言う事が出来ない・・・むしろ逆の事は言えただろう。そこに現れていた物それは対照的に薄黒い盛り上がりが随所に見られた、同時に爪も鋭くなっており手の形自体が若干ながらも変形していた。
盛り上がり・・・それは肉球と呼ばれる物、そう獣の足の裏に必ずと言って良いほどあるあの物体である。そしてそれの形成が止まると共に今度は白にこげ茶色の獣毛が湧き出るかのように掌から甲を覆って肘の辺りまで、やや切れ込みのような形でこげ茶色の部分こそ収束したが白と共に新たに現れた淡い黄色が専らとなって全身に広がる。
そして腹部や顎の下等一部以外はそれに包まれていくと同時に体の変形も促された、まず変化があったのは尾てい骨の辺りである。いきなり軽い盛り上がりがあったかと思うと一気に付き上がってそしてわずかな休みも無くふっさりとした淡い岐路いの獣毛に包まれ、次に顔の鼻から顔にかけての人中が前へ突き出し鼻と口が接近し鼻腔と顎が伸びた。
下顎は白く上顎の多くは淡い黄色の獣毛に染まった中で鼻は黒光り、閉じられた目は横に細くどこか愛嬌のある様相をその周囲の獣毛と相まって感じさせた。その間に耳もまた動いて見事に整った二つの二等辺三角錘が頭の上に姿を現していた、首下から胸元の毛は極めて厚いのもまた特徴的なそれは、狐であった。
そのわずか数分とも経たぬ間に、岡村の人としての姿は失われていたのだ。しかしそこに立つ者はいる、一見すると人の様に見えそうではない者。狐の毛皮と体に人の体が巧妙に合わさった・・・狐人となった岡村がそこにはいた。
開かれた瞳も人ではなく薄黄色の白目に猫の如く縦長で、光に合わせて大きさの変わる瞳孔を持った狐の物だった。その瞳で己の変わり果てた姿を見た岡村は悲しむと言うよりも驚愕に満ちてならない。
そんな彼を楽しむかの様に先程の声が再び脳裏に響いたと思った次の瞬間、不意に何者かが狐人と化した岡村の正面に向かい合う様に出現したのである。当然この状況からしてその者もまた人外の者であった、ただその者は岡村と同じく狐人の外貌を持ちながらその毛並みは絹の様に見るからに繊細かつ滑らかで美しい。加えてその色は完全なる眩いばかりに輝く金色であり、金糸という言葉はその毛並みの為にあると思わざるを得ない。そして胸と股間の膨らみ、一瞬注目し、その意味している事は次の瞬間に悟られた。
「さて・・・新しい体の調子はどうかな?上手く仕上がったようじゃが。」
その金毛の狐人の口から語られる言葉はあの脳裏に響いた声そのものだった、ただこの姿で言われると何処と無くずっと引き締まって良い物に感じられるから不思議なものである。
そして近接してまじまじと見つめた金毛は何の躊躇う所も無しに手を差し伸べて岡村のペニスを掴んだ、するとそれまですっかり萎んでいたそれは一気に力が入りはちきれんばかりに勃起したではないか。それには再び彼は驚きを表にして見つめる他無く、その視線の先にて金毛は掴んだまま手で何度か揉み込んで手が離された。
まだ勃起したままのペニス、当然それは狐の物と全く形として相違が無くその体に合わせた大きさとなっている。ただその根元には先程までは付いていなかった見慣れぬ物の姿があった、それは金色に輝きペニスの根元付近に存在している輪の様な物。それは俗にペニスリングと呼ばれる物であろう、その一種異様とも言える物を岡村が見たのは初めての事。だからこそ彼が取り付けたのではない、だとすると唯一の可能性・・・それはこの金毛の狐人が取り付けたと言う事しか浮かばなかった。
「これは・・・。」
「これで完了じゃよ・・・お前さんはわしの物に過ぎなくなったのだ、ほれこの輪・・・これが証だよ。喜ぶが良い、これがお前さんに相応しい体じゃ・・・わしの性隷たるに相応しい素質を持ち合わせていたからの。可愛がってやろうから覚悟しなされ・・・全く持って愉快だのう。カカカカカカッ。」
如何にもと、その言葉に反する事無く愉快そうに金毛の狐人は笑った。その独特な笑い声はその狭い部屋にこだまし、事実からの衝撃に打ちのめされている岡村の心へ響き沈めて行った。
終
一夜の惑い・第3話
小説一覧へ戻る
ご感想・ご感想・投票は
各種掲示板・投票一覧よりお願いします。
Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2013 All Rights Leserved.