それから数ヵ月後、騒乱の後片付けの進む首都の一角に広がるスラム街で奇病が流行し始めた。共和国保健省は軍の協力の元、奇病の解明に乗り出したがそれまでに見られた如何なる病気とも合致せず、新種の伝染病としてWHOに報告されて一躍世界の注目を集める事となった。事態を重視したWHOからは調査団が早速派遣されて調査に当たり、それが事実である事を裏付けたデータと共に正式に発表、病名シラン病、シランとはグランシルバ語で眠るという意味である。
この病気の特徴は初期の軽い微熱と咳で一見すると普通の風邪と区別が付かない。しかし、一週間ほど様子を見ると突然発作を起こして、意識を失いそのまま眠り続けるというものであった。意識を失った後は何をしても目を覚ます事は無く、眠り続けるものの体力等には全く変化が無い。水や栄養を補給する必要が無いというのもまたこの病気の奇妙さを一層掻き立てるもので、正に奇病と言うのに値する病気と言えよう。
そして次々と発覚する新事実にWHOは驚いた、その奇病の原因と思われる患者の血液中から採集されたウイルスはインフルエンザウイルス以上に素早く常々形を変えて、その一つ一つの形を捕捉し解析する事が困難であった。また同時に併せ持つ驚異的な感染力は凄まじいもので、空気はともかくわずかでもウイルスを含んだ液体が、皮膚に付着しただけで感染すると言う有り得ないほどの感染力を示していたので、WHOは全世界に向けて最新の情報と共に警報を発令、各国政府はグランシルバ共和国への自国民への渡航禁止等の策を取り全世界が封じ込めに動き始めた。
しかし、その時には最早手遅れであった。スラム街を支援するNGOの複数のメンバーがシラン病の流行する直前に自国へと帰国していた、潜伏期間は2ヶ月と比較的長くその間も感染を続けるこのウイルスは彼らをキャリアとして運ばれ、まず家族親族、友人知人・・・と世界中に広がっていたのであった。だが、誰も目先の事にとらわれてこの事実を把握していなかった。
「ニューヨークにてシラン病患者発生。」
インターネット、そしてメディアを通じてこの事実は世界中に広まりWHOを初めとした国際機関、各国政府を初め誰もが何故ニューヨークで発生したのかわからないでいた。しかし、患者の追跡調査の結果、ようやくそのNGO出国の事実を把握し、他の出国したNGOメンバーの所在確認を続けている内に事態は悪化しニューヨークを皮切りとしてワシントン、モスクワ、バンコク、ロンドン、ベルリン、パリ、カイロ、バクダッド、イスタンブール、ローマ、ジャカルタ、マニラ、サンパウロ、クラクフ、ジュネーブ・・・と世界の主要都市での患者発生と拡大が報告され株式・為替・先物等の国際市場は暴落し経済は破綻寸前にまで追い詰められた。必然的に国際的な物流網の動きは弱まり、航空機の国際線も順次運行を停止し始めていた。
当初はその災禍から逃れていた日本でも初の感染者確認と公式に発表され、混乱と同様が社会を揺るがした。しかし、一部の研究者達はある考えを抱いていた。どうしてこのウイルスは人を眠らせるのか?どうして感染者は水も栄養補給も無しに長期間生存できるのか?と・・・だが誰も本当の理由を突き止める事は出来なかった。何故なら眠り続ける感染者を調べるだけの勇気が持てなかったからだ、所詮口では上手い事言っても御身大切と言うのが人間の本心なのである。謎の舞踏会、ある研究者はその現状をそう皮肉ったと言う。
日本での感染者確認から半年後、街はすっかり静まり返っていた。道行く車も殆ど見られず、ましてや人の姿はほとんど無い。鉄道や航空は貨物輸送以外ではその用途を停止し、国内を移動することすら困難な情勢になっていた。メディアも民放の幾つかの局は放送を停止しそのチャンネルに切り替えても砂嵐、NHKが国民から受信料を取っているだけはあって24時間の放送をテレビラジオ共に続けている有様であった。新聞は数日に1回忘れられた様に届けられるだけですっかり沈黙し、各種雑誌は言わずもがな、食料は配給制となりまだ感染していない幸運なある意味不幸な人々は数日おきに指定された場所へ集まって、米や芋を受け取っては足早に家路を急いだ。
首都圏近郊の街に住む田中岬もその1人である、高校生である彼女の学校は感染者確認と共に閉校したまま再開の目処は立っていないので、半年近くずっと家に居る状況が続いていた。それでも初めの頃は友人と連れ立って遊びに行くと言う事もあったが次第に困難になり、今では配給や必要最小限の理由以外で外には出ない。
「ただいまー。」
「お帰りお姉ちゃん。」
玄関の扉をくぐると弟で中学1年生の耕太が迎えた。彼もまた進学して間も無く学校が閉校となり、彼女と似たような日々を過ごしている。
「食料もらってきたわよ、夕飯にするからちょっと待っててね。」
「うんわかった。」
「お母さんの様子はどう?」
「いや、特に変わりは無いよ。」
「そう、ならいいわ・・・じゃあちょっと待っててね、すぐに食事作るから。」
早めの夕食を摂り終えると2人は別々に風呂へ入って、パジャマ姿に着替えると早々に弟は眠りに就いた。無理も無い、まだ中学1年生である、先日までは小学生であったのだから当然と言えば当然であるし中学生とは言え殆ど学校に行かないまま、学校が休みとなってしまったのでまだ体力・心構え共に幼いままなのだ。その上元々が病弱であったものだから一般の中学生よりも体力は劣っているので尚更である。
「お母さん・・・。」
岬は寝る前に必ず母親の元へと行く、シラン病に感染した母親はもう二ヶ月近くに渡って昏々と眠り続けている。父親はそれ以前にまだ社会が機能していた頃に発病し、専門の隔離病院へと強制的に運ばれて以来消息は全くの不明であり、本来なら遅れて残された家族も収容施設へ送られる計画であったのだが余りの多さに中止されてここに留まっていたわけである。その日も母は何時もと変わらぬ様子でただただ眠っており、彼女はその顔を軽く擦り電気を消して自室へと戻った。
ホーホー・・・
窓の外から何処からとも無く聞こえる鳥の鳴き声、フクロウだろうか?こんな街の中でこの様な声が響くようになったのもここ数日の事であった、それ以外には音のしない丑三つ時を半ば過ぎた頃、奇妙な何かが弾けるような音が家の中に響いていた。
ピチッ・・・ピチ、プチピチ・・・
緩衝材の突起を潰すような音が響いているのは母親の寝ている部屋であった。部屋の窓際のベッドの上に横たわるその体は青白く輝きを放ち、真っ暗なはずの部屋の中を仄かに妖しく明るくしている。その口は堅く閉ざされて微動だにせず、鼻も胸も動いていない・・・呼吸はしていなかった。体はその輝きとは対照的に酷く冷たく、死んでいるのではと勘繰りたくもなる有様であった。しかし、不思議と生きていると言う実感が感じられない訳でもなかった。
そして、その青白い光は彼女の体の中心へと集結して一筋の線となりその線を境に、まるで切り取り線であるかのように体が左右へと切れてめくれ上がり、切れた場所からは無色の液体が漏れ始めた。最初の内はただその場に広がるだけの液体であったが、次第に厚みと質感を増し床に這い蹲る姿は正に巨大アメーバ、しばらくその場で蠢きある程度の広さに落ち着くと、ナメクジの様に床を這って進み始めた。扉の前に来ると一時動きが止まったが、体を限りなく細くして隙間を通り抜け廊下へと姿を現してそのまま何の躊躇いも無く、正面にある扉の隙間へと身を進ませた。
その扉の奥にあるのは耕太の部屋であった。耕太の部屋の中へとまんまと侵入するのに成功したアメーバは、人の存在を嗅ぎ付けてベッドの柱を伝って枕元へと姿を現すと静かにパジャマの隙間へと分け入り、全身を覆い始めた。手の平大の大きさであったそのアメーバは瞬く間に巨大化し、耕太に気が付かれる事無く覆いつくすと鼻や口、耳と言った全身の穴と言う穴から体内へ侵入し始め、やがて全てをアメーバで埋め尽くされた彼の体は、小さな赤電球の光りによってラバーの様な鈍い輝きを放っていた。
翌朝、普段と変わらない時間に目を覚ました岬は、1人朝食を摂るとテキパキと昨日残していた洗濯物や掃除を片っ端から片付けていた。
「おねえちゃん、お早う・・・。」
そんな岬の背中にかけられた耕太の声、相変わらず眠そうなその声に振り向く事も無く、彼女は適当に応えて目の前でこなしている事柄を逸早く片付けように専念していたその時、突然背中に耕太が覆いかぶさってきた。何の心構えも予想もしていなかった出来事であったので、岬は耕太を背に前へつんのめり少し恥ずかしい悲鳴を上げてしまった。
「こ・・・こら、耕太、何すんのよ・・・降りなさいったら。」
「いやだ・・・。」
「はっ何言ってんのよ・・・駄々こねてないですぐに降りなさい、ねぇ聞いてるの?中学生でしょ。」
今度は耕太は答えなかった、その代わりに心なしか背中に感じる彼の体重が増した様に感じられた。異変を完全に悟った岬は耕太を自ら振り下ろそうと体を揺さぶった、しかし全く外れない、まるで岬の体の一部にでもなったかの様に自然に彼女と共に揺れているではないか。背中に出来た巨大なニキビ・・・そんな感じすら感じられた。
「ねぇ・・・耕太、どうしたのよ・・・。」
すっかり弱気になった岬は先程までとは打って変わった声を出して、お伺いを立てるかのように声を投げかけたが返事は相変わらず無かったが、その代わりに彼女は背中から強い熱を感じた。その熱の広がりと共に彼女に耕太の体がより深く食い込んできている様に思えたのは事実であり、その熱は食い込んでいく際に発生する副産物に過ぎなかった。いや、食い込むというよりも一体化して行くと言う事だろう。5分ほどで服を溶かしながら岬の体の中へと耕太の体は姿を消した。すっかり精も根も尽き果てた岬はその場で手で体を抱えた四つん這いのまま、息を荒くして全身から汗と熱が引くのを待ったが一向に治まる気配を見せない。
"な・・・何が起きたのよ・・・。"
そのままでいるのが精一杯の彼女は、頭では今の自分の体の様子をこの目で見たいと考えていたがとても叶わず、そのままでいる事を余儀なくされた。今の彼女の体は服が溶けたお陰ですっかり全裸である、見た限りでは特におかしな点は見受けられなかったが、その股間には小ぶりのペニスが1つだけ2つの玉袋と共に姿を現していた。その格好は耕太のペニスと寸分違わずに同一であり、おそらく耕太の体が同化した事による産物なのであろう。だが、彼女はそれに気が付いておらずただ股間が何と無く熱い・・・と漠然と熱と言う形で捉えていた。
「はぁ・・・はぁ・・・はっはっ・・・はぁ・・・。」
体の熱が一向に抜けない内に彼女は自然と舌を獣の様に垂らして、少しでも体温を下げようとしていた。確かにこれは効果があり部分的に熱が下がって、息をするのが大分楽になっていたので彼女はより少しでも長く舌を伸ばす事に専念した。すると思うままに舌は伸び、そればかりか顎と鼻先が前へと伸び始めた。
"もっと、もっと楽になりたい・・・熱いのはもうやだ・・・。"
その効果に酔い痴れた岬が舌を更に伸ばす内に、歯は鋭く太くなり下もそれに合わせた形へと切り替わった。鼻先は黒く固まり盛り上がり、瞳の色も黒から黄色へと変わると毛が彼女の顔に生え始めた。目の辺りから広がり始めた銀茶の張り付くような毛はすぐに顔全体を覆い、毛が顔を覆いつくすと共に変形しつつあった耳も三角耳として立っていた。毛は首筋を伝って全身へと広がり行く、乳房はそのままの大きさで腹の上の毛の中に、正対称かつ等間隔に乳首が少しだけほんのりと盛り上がって複数、股関節へむけて形成されて行く。
ほっそりとしたその体に良くあいながら毛は進み、やがて尾てい骨からはファサッとした程長い尻尾が現れ、ペニスは長くなると共に皮膚と癒着して、へそのやや下の辺りまで完全に包まれた状態で伸びる。そしてその先端の穴の中からは赤く太い瘤つきの尖ったペニスが姿を現していた。膝の形も変わり、各指の爪は黒く鋭さを得る。ふたなり犬獣人・・・それが岬の今の姿であった。
「あれ・・・私ったら何て格好を・・・服着てこないと・・・。」
その場で立ち上がった岬はその変貌した姿に驚く事無く、少し見つめると服を一切身に纏っていないのを恥ずかしがって服を取りに部屋へ戻った。どうやら、彼女の頭の中ではその姿を異常と感じておらず、正常と認識してしまっている様であった。
「これでいいかな・・・。」
と言いながら服を着て鏡の前に立っている岬を見ているとそう思わずには居られない。そして窓の外を見れば、道を行く人、いや服を着た獣人がいた。隣の家の窓にもそれは見えた、テレビに映るアナウンサーもそれ、何もかもがそれ・・・最早、この世に"人間"は存在していなかった。存在しているのは人類と名乗る獣人、それぞれがそれぞれの多様な姿をした全世界の獣人達はこの数日中の変化に何の変化も感じず、逆に人間のままで乗り切ったわずかな人々を"獣"として一箇所に収容する始末であった。
そして社会が以前よりも落ち着いた反映を取り戻した頃、世界は2つの階層に分離されていた。支配階級であり"人類"の獣人と、それに隷属する奴隷階級の"獣"と呼ばれる人間・・・獣人達は2038年を大進化の年と呼び崇めた。それ以前の歴史と以後の歴史とに齟齬は無く、そのまま歴史は紡がれる・・・ある1つの国がかけた面子によって変じた歴史によって・・・。