取締官〜第三章〜冬風 狐作
「どう・・・?なりたい?」
 狼人は水谷の声で、最もその中の人は水谷なのだが、真田の耳元に囁いた。無論、先程から腰を振りたくて堪らず、催淫作用によって正常な判断力を侵食されていた真田が断る筈が無く。彼女は嬉しそうに笑みを作ると首を真下へと下ろした。
「そう・・・じゃ話はきまったね・・・そう言ってもらえて僕は嬉しいよ・・・真田さん・・・。」
然も愛しそうに再び狼人は頭を撫でて、その顎の下を軽く愛撫していたその時。
「よし・・・上手くやったな、水谷・・・後は私に任せろ。」
「はっ、教務次長様、その言葉真に有難く存じ奉ります・・・。」
 急に響いた男の声に、それまで大切にしていた真田を放って狼人は膝を曲げて叩頭をした。狼人の床につけられた頭の先には、月明かりの差し込む窓を背景に、1人の純白に緑の筋の入った宗務服と教団内で呼ばれる服を身に纏った男が立っていた。教務次長と呼ばれたその男は小声で何事かと狼人に指示を与えて、人の、水谷の姿へと戻らせると用意しておいた服を着させた。
「具合は如何だ?」
「最高です・・・かなりの力ですよ・・・。」
「そうか、教主様の言うとおりだな・・・よし、この女を外に止めてある車に乗せろ。そして、お前は研究所の方へ迎え・・・私はこいつの連れを始末しておこう・・・。」
「大丈夫でございますか、教務次長様・・・何なら引き続き自分が・・・。」
「心配には及ばんよ・・・たまには使ってやらないと鈍ってくるからな・・・さぁ急いで行け。準備は整っているからな。」
「はっ、それでは失礼致します・・・。」
 そう言ってつい今し方薬によって眠らせた真田を抱えて、玄関に横付けされた車に載せると水谷は指示されたとおりに研究所へ向けて車を走らせて行った。それを見送ると教務次長は扉を閉め、辺りは何事も無かったかのように静まり返り、時折離れた別のコテージから教義を暗誦する声が聞こえてくる以外は、誰もいない原生林の様な静けさが辺りを包み込んでいた。

「真田さん、ただいま〜。」
 広田が帰ってきたのはそれから一時間ほどした頃だった。入ってきたばかりの時は何時も通りの気軽で明るい態度であったがすぐにそれは一変する。
"何・・・この臭い?"
 部屋の中に充満している異臭、そしてどう言う訳か消されていた電気・・・真田がいるなら電気が灯っている筈だ。それに食事も出来ている筈・・・しかしその気配もまったく見られない。そして静かに様子を窺いながら電気を付けるとそこには散らかり放題に乱れた惨状の室内が露わとなった、朝に出かけた時との余りにも歴然とした差に思わず言葉を失う。
「一体・・・これは何?何があったの・・・?」
 呆然と立ち尽くす広田、職業柄様々な事態に臨機応変に対応出来る様に訓練を重ねてきているが、これは余りにも唐突であった為に上手く対応出来ない。それでも気を取り直してまずは真田の不在を確かめると、その散らばった室内を検分し異様なまでに床が濡れている一角に注目した。その液体からは充満している臭いが発せられている。
"何なんだろう・・・この臭い、何処かで嗅いだ様な覚えがあるんだけど・・・。"
 だが幾ら必死に頭を巡らせても後一息の所で答えはつっかえてしまい表に表れない。やり場の無いやるせなさに苛まれた広田が溜息を吐いたその時だった。
「何をしているのかな?」
 と声が背中からかかったのは。

「誰!?」
 咄嗟に反応した広田は後ろを振り返り声のした方向を見詰める。そこにはこれまで使っていなかったロフトがありその奥のここからは見えない暗闇の中から声は聞こえていた。
「誰よ、姿を見せなさい。」
 強い調子で言い思わず腰に手をやってハッとなる広田、潜行調査中であるので何時も身に付けている拳銃を今日は身に付けていない。そう分かっていながらもうっかりしてしまう癖に顔を赤らめていると再び声がした。
「流石だね・・・我が教団へ調査に潜入しているNIC調査官と言うだけはあるな、広田明子さん。」
 それは大きな驚きであった、相手には自分の所属はおろか目的がばれていたのである。こうもすらすらと言われると言う事は恐らく全ては掴まれている・・・そう予想するのは容易かった。そして相手が教団の人間であると言う事も同じく、そして広田は体を構えた。
「あなたこそ・・・隠れてないでどうどうと姿を現したら如何よ、教団側の人間さん。」
 挑発気味な口調で呟く、すると返ってきたのは肯定的な返事だった。
「まぁそうだな、それが礼儀だろう・・・。」
 そして間髪置かずに続く影の動き、暗闇の中から光の元へと現れてきたその影の姿に広田は思わず絶句し、集中していた所に迷いを思わず生ぜしめてしまう。
「驚いたかね・・・私の姿に、まぁ普通に拝める物ではないからな。とくと目に焼き付けるが良い。」
 そううそぶくその姿は人間ではなかった、いや人であるのは確かだろう。何故ならその口からは人語を紡ぎ二足歩行をしているのだから、だがその姿は異なる、それは巨大な灰色熊であった。四足歩行でもその巨漢は圧倒的な存在感を誇示しているが二足となるとそれは桁違いに大きかった、身長は2メートル近くはあるだろう。そしていかにも筋肉の塊と言ったその体と鋭い眼光を以ってロフトの上から睨み付けられれば、まだ駆け出しの頃に屈強な密輸組織の構成員と単身でやり合った経験を持つ、こう見えても軍隊格闘の達人であり強さを志向する彼女も萎縮するほかは無い。
 気配に飲み込まれたら勝ち目は無い、そう感じた広田は例え虚勢であるかも知れないが飲まれぬ様に気を強め対峙する。最初に動いたのは熊人の方だった、その全体重を持って組み伏せようとしたのか勢い良く飛び掛ってくるのを何とか回避して再び備える。
「中々良い動きをしているな調査官・・・これは楽しめそうだ。」
 好敵手ここにあり、とでも言いたげに熊人は言った。そう述べる熊人も広田から見てその巨体からは信じられないほど俊敏な動きを見せており、彼女もまた熊人を褒める。一瞬空気が変わるがすぐに緊張が張りつめ、今度は2人同時に飛び掛った。交錯する2人と衝撃、赤い飛沫・・・着地した時に広田は口の中に鉄の味を感じた。だがその様な事に構う暇なく人と熊人は戦い続けた、一つ動く度に互いに傷が増えていく。  それでも広田はそれを負担だとか痛いだとかは思っていなかった、むしろ逆に好ましく血を騒がせる刺激的な材料となっていたのだ。そして再び戦いに挑む、彼女は自分の持てる技を片っ端から使いその驚異的な力を中心に攻めてくる熊人に対抗した。そして一進一退の攻防が続いたその矢先に熊人が余裕たっぷりに口を開いた。
「教えてやろうか・・・お仲間がどうなったかを。」
「真田さんの事ね・・・!どうしたのかしらっ。」
 そう言って交錯させて着地する、一瞬気が緩んだせいかこれまでで最も衝撃を喰らってしまったかも知れない。それでも尚も交錯させながら話は紡がれる。

「犯されたんだよ・・・犯し倒されたんだよ、お仲間は。」
「犯し倒された・・・!?あの真田さんがっ。」

「そうだ、良い声で啼いていたなぁ・・・狼人のペニスに貫かれてな。」
「狼人、あなたみたいな人がまだ他にもいるのね・・・。」

「ご名答、俺達以外にも数多くな。教団の利益を守る聖なる兵士として!」
「憐れなものね、裏で麻薬を密売しているような物を守る為なんて。」

「何を憐れと言うかな、麻薬なんぞ小さな事に過ぎん・・・崇高なる目的の達成の前には・・・。」
「達成の前には・・・?」

「達成のための歯車に過ぎんのさ・・・お前も直に分かる事だろうよ、そして熱狂さ。」
「嫌なものね、分かるなんて滅法ごめんよ・・・。」

「後になって後悔するだろう、そう言った事を。」
「後悔するのはあなた達ね、何事も正義が勝つのよ最終的には。」

「・・・・。」
「あら静かになったわね・・・弾切れかしら。」

「お前の信じる正義が紛い物でなければなっ・・・!」
「紛い物・・・まさか・・・!?」

ドスッ!
 その瞬間だった、広田の体が吹き飛んだのは。全身を込めてかけられた熊人のタックルに耐え切れず吹き飛んだのだ。そのまま背中から大きく床にぶつかり跳ねて一回転しても更にバウンドして止まる。衝撃と緊張に熱狂の糸が途切れてのこれまで感じていなかった痛みが一気に全身に襲い掛かり、打撲と切り傷からなる痛みが体を苦しめる。口からは苦痛の喘ぎが漏れ、顔には痛みを示すシワが強くよっていた。
「私の勝ちだな、調査員・・・いや明子。」
 苦しむ広田の手足首を上手く封じて圧し掛かる様にする熊人、それは広田にとっては屈辱的な姿勢だったが闘いの後の感じのよい高揚感が2人にはあった。何だか敵であるこの熊人に魅せられてしまった、その様な気持ちを自分の中に見出した広田だが、一部では慌てるものの全体としては素直にそのままに感じ取っていた。
「・・・その様ね、あなたには負けたわ。」
 そしてすらっと漏れるその言葉、今度も驚きは微塵も感じなかった。むしろその力が羨ましくてならなかったと言えようか。
「なら良い・・・認めたからにはその傷を癒してやろう、楽にするが良い。」
「頼んだわよ・・・その力惚れたかも。」
 だがすぐに意識を広田は失った。熊人が軽くツボを押さえて無理矢理意識を失わせたのである、そしてそのまま抱き抱えると静かにその場を後にした。完全に無人となり荒れたコテージにはようやく静寂が訪れたのだった。


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