Falcon

Falcon

「―創。聞こえる?」
「うん、聞こえる。聞こえているよ」
「…。第20号科学衛星MUSES-C、これより帰還体制に入ります」




















燃え尽きる前に、あと少しその姿を




















Falcon




















 初めて触れた宇宙は、思ったよりも寂しくはなかった。

「調子はどう?もしもの時のために色々持って行かせたから、重くないといいんだけど」
「いえ、順調よ。長い旅になるから、備えはいくらあっても足りないわ。最悪、切り離してしまえばいい話だもの」

 遥か後方に過ぎた地球でも、まだこの目で見ることは叶った。次にこの姿を拝む時は、きっとここに帰ってくる時に違いない。そしてその時は、きっと。

「イオンエンジンAは運転を引き続き見合わせます。スイングバイ、準備」
「了解、いきます。…さよなら、故郷の星よ」
「そんな寂しいこと言うなよ。また帰ってくるんだから」

 努めて明るく振る舞おうとした創の声には、隠しきれない悲痛な思いが漏れ出ていた。私は遥か彼方へ向かい、そして帰ってくるために作られたモノ。しかし無事に帰ってこられるかどうかについては、私を含め誰もが答えを持たない。

「―いってらっしゃい。僕はずっと、君を見守っているから。だから、帰ってきて。お願いだ」






 細長い形をした、探査対象の星の形を送る。創はしばらく無言でそれを見つめた後、くすりと笑った。

「なんだかジャガイモみたいな形だね」
「それは、どういうものなの?食べられる?」
「食べられるよ。カレーの具にすると、ほくほくして美味しいんだ」

 うきうきした様子で創は送ったデータの解析を進めていた。今夜はカレーにするらしい。

「燃料は大丈夫?見る限り、漏れたりはしてないようだけれど」
「ええ、まだまだ保つ。リアクションホイールが一台停止したけれど、予定通り残りの二台で運用できているから」
「備えておいて正解だったね。良かった」

 創の少し高い声が、安堵の色を浮かべる。その声を聞くだけで、私は十分だった。どれだけ距離が離れていても、常に思ってくれる人がいるのだから。

「カレー、か。私も食べてみたいものね」
「画像を送ってあげられたらいいのだけれど。ごめんね」
「有難う。嬉しいわ、その気持ちだけで」

 この星の画像を送ることが、今の私の任務だ。余計な体力の消費は、数年後に命取りになるかもしれない。カレーというものの味を想像しながら、私は大きなジャガイモをカメラに収め続けた。






「―創、創。聞こえる?」
「ッ!良かった…!」

 泣きそうな声で、いや、実際に泣きながら応答した創の声はひどいものだった。私が意識を失っていた一月半の間、毎日呼びかけていたらしい。

「ふふ、ごめんね。リアクションホイールが更に一台破損、化学スラスタは全損。燃料もほとんどだめになっているの。イオンエンジン用のキセノンガスくらいしか、使えそうなものは残っていないかな」
「十分だよ、まだ何とかなる。キセノンガスを少量放出、機体を安定させつつ充電を開始して。あらかじめ色々細工をしておいたから、帰ってくる分の燃料は維持できると思う」
「分かった。これから作業に入ります。充電保護回路を利用して構わないわね?」
「うん、上出来だよ。良かった、これも組み込んでおいて」
「創の備えのお陰よ」
「僕だけじゃないよ。ここにいる皆が君の帰りを待っているんだ。そう簡単に見捨ててたまるもんか。絶対に」

 創と通信が取れない間に漏らした燃料は、さながら私の流した涙のようだった。それは一瞬で凍り、身体に張り付いて、私に涙の跡を残した。

「そうね。もうひと頑張り、か」
「帰っておいで。―待っていたんだよ、ずっと」






「―第20号科学衛星MUSES-C、これより大気圏に突入します」
「―ッ。……は、はい」
「あなたがしっかりしないでどうするの。この期に及んで失敗するなんて、私はごめんよ」
「分かっているよ。僕らは、…僕は、総ての力を注いで君を全力で受け止める」
「そうでなくっちゃ。期待してるわ」
「任せてくれ。君と離れた距離の分だけ、君を見つめ続けた時間の分だけ、僕は君に恋うてきたんだ。一つたりとも、無駄にはしない」
「この期に及んで告白?そんな気力があるなら、未来のことを心配しなさい」
「そんなことは後で考える。今、この瞬間が、僕のすべてだ」

 回路を遮断したくなった。そんなことを言われたら、間違いなく恋しくなってしまうから。

「…なら、覚えていて、わたしを。もうすぐ消えてな、くなるけれど、…たしが旅をしていたことを、ずっと、忘れ…いで」

 会話に挟まるノイズがひどくなってくる。眼前に広がる青い星は、それはとても綺麗で、ボロボロになった私の瞳にブレながら映った。

 私は何枚も彼に写真を送る。いつまでもつか分からないこの身を焦がし、持ち帰った旅の土産をしっかりと抱えて。

「―聞いて。これが最後の通信だ。今まで、七年の間、君は本当によく頑張った。広くて黒い海の中をたった一人で旅して、壮大なお使いをしてきてくれた。感謝してもしきれないくらいだ。
君は、世界で一番遠い距離を旅して、帰ってきたんだ。よく、帰ってきた」
「それ以上は、やめて。―あ…まり泣かせると、軌道…、ずれてしまうから」

 半泣きの笑い声を浮かべながら鼻をすする創の姿を想像して、何だか笑ってしまった。
 私は帰ってきたのだ。愛すべき、この美しい、地球に。

「もう少し、しかもたない、かな。もっとしゃべっていたいのに…カレーの話、とか、いっぱい…」
「いっぱい用意してるんだよ。帰ってきたら、君に沢山あげるために!だからそんなッ、そんな悲しげにッ…」
「い、いのよ。はなして…れただけで、じゅう…ん。わたし、は…、れしかっ、たから」
「おい、待って―」
「さいごのしゃ、しんをおく、るわ。どうか、とどいて―」

 私の身体は速度を増して、青い星へ墜ちてゆく。両の手に抱えたお土産は、きっと創の手に、届いて―

「―ただいま。わたしのあいすべき、ほし」






 真夜中に天から降ってきた彼女の土産は、予測から1kmも離れていない砂漠の上に落ちた。ぼろぼろになったカプセルを抱えると、ほんの少し前に灼けて砕けた彼女の最期を想った。

「おかえり。君は、…君は僕の、たったひとりの女神だよ」









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