「こんな所、絶対に抜け出してやる」
それが俺の口癖だった。
俺が生まれた頃に開通した鉄道、それに増え続ける都会の人口増加に伴い徐々にベッドタウンへと変貌を遂げた、片田舎の町。
町のおおよそ半分は駅周辺と比べると余り開発の進んでいない山地であり、農業を営んでいる世帯も数多くある。
俺はこの町が大嫌いだった。
何時の頃からだろう、自分の生まれ育った町を受け入れられなくなったのは。
小学校の高学年になる頃には既になんとなくではあるものの、この町は"他者"である、と感じとっていた様に思う。
中学に入った時にはそのぼんやりとした思いは確固たる思考へと昇華していた。
殆どの級友が地元の高校へと進学していく中、俺だけが県外の進学校へ進学した。
窮屈な学校寮で高校生活を送ったが、あの町での生活に比べれば桁違いに充実していた。
両親がどうしても、と言う時以外は進んで実家に戻りもせず、寮に留まり勉強、部活に明け暮れた。
高校を卒業し、首都近辺の大学に進学した事で両親に呼び戻される機会も減り、あの町は俺の中で遠い存在になろうとしていた。
それがどうして…
どうしてなんだ？
吐き捨てるように呟くと、暖房の効いた車内から薄ら寒い夕暮れのプラットホームへ足を踏み出した。
きっかけは一本の電話だった。
「治人、あんた次の日曜日にはこっちに戻ってくるわよね？」
柊治人…今年で二十歳になる豹人、それが俺だ。
少々甲高く聞き間違え様の無いその声の主は母親のものだった。
その声を聞いただけで俺の尻尾が項垂れる。
「いきなり何言ってるの？」
胸の内の隠そうとせず、声に不満な調子を含ませる。
母はそんな俺の様子を受話器越しに察し、くぐもった声で言った。
「何って…あんた今年は成人式があるじゃないの。
正月だってろくに帰って来ないんだからこんな時ぐらい帰ってきなさいよ」
正直な所成人式の存在は覚えていたものの、俺には出席する気など更々なかった。
わざわざ長時間掛けてあの町に帰るのは面倒くさいし、他県の高校へ進学した俺の事など誰も歯牙に掛けないだろう。
そういうわけで謹んで辞退しようと申し出た所
「あんたねぇ、たまには親の言う事聞きなさい！ 帰らないと仕送りしないからね！！！」
と言われ乱暴にガチャン、と受話器を置かれてしまった。
どうやら今回ばかりは帰省しないわけにはいかないようだ。
変貌を遂げつつあるとはいえやはり根底は田舎なのだろう、母は大方『正月にも帰らない親不孝な息子』なんて思われては世間体が悪いと思ったに違いない。
無機質な機械音を発したままの携帯を切りベッドへ放り投げると、俺は実家に持って行く荷物を詰めようと立ち上がった。
自身の気分のせいか、準備はなかなか進まなかった。
こうして毛嫌いしていた町に戻った次の日、俺は成人式の会場である町唯一のホールに独りで突っ立ていた。
ま、当然と言えば当然だよな…
軽く溜息を付き式が始まるまでどうやって時間を潰すか思案を巡らせる。
ふと辺りを見回すとロビーの隅に椅子があるのが眼に入った。
人混みを縫う様に移動し椅子に腰を下ろす。
顔を上げれば華やかに着飾った女達や颯爽とスーツを着込んだ男達が自然と目に入った。
その中には昔の同級生と思しき人物も見受けられたが、俺はこれといってどうするわけでもなく、独り椅子に腰かけていた。
式が終わったらさっさと戻るか…もう『ここ』には俺の居場所なんぞ殆ど無い。
ぼんやりとそんな事を考えていた、その時だった。
「あれ？ もしかしたらナオじゃない！？」
自分の名を呼ばれ、驚いて声の方を振り向くと一人の竜人が俺の顔を眺めていた。
…誰だコイツ？こんなでっかい竜人の知り合いなんていたっけ？
考えている事が表情に表れていたのだろう、すぐさま竜人は次の言葉を投げかける。
「忘れちゃったの？ ソウだよ。ほら、小学校の頃僕達よく一緒に遊んだじゃん」
ソウ…奏？
「お前…もしかして奏詠？」
その言葉を聞いた竜人…春木奏詠の顔に満面の笑みが広がる。
「よかった、覚えててくれた。それにしても久しぶりだね、ナオ」
屈託の無いその笑顔にはどことなく昔の面影が残っている気がする。
ナオは小学校低学年の時からクラスもずっと一緒でそのせいかよく一緒に遊んでいた。
中学になってからはお互いのクラスが変わったせいか、小学校の時ほど頻繁に遊ぶことは無くなった。
顔を合わせればよく話はしたがただ何となく、俺達は疎遠になっていった。
そんな旧友との久しぶりの再会に胸を弾ませ、お互いの近況を話している内にロビーの群衆が移動を始める。
「あ、そろそろ始まるみたいだね。じゃ、また後で」
そう言ってソウは手を振ると小走りに人混みの中に紛れ消えていった。
人混みが飲み込まれはるのを一人見届けた後、俺もホールの中に消えていった。
式は当初の予定通り滞りなく行われた。
どこかしらの新成人の様な場を弁えない行動をとる人間は幸いながら居らず、式は無事閉会を迎える運びとなった。
ホールの内外ではどこかしらに写真を撮ったり談笑しているグループが見受けられる。
そんな光景を目にしながら一人帰路に着こうとしていた。
「ナオ〜待って〜〜〜」
見ればソウが早足でこちらに近づいて来ている所だった。
「どうしたんだよ一体？」
「ナオと久しぶりに会ったんだしゆっくり話したいなと思ってさ。立ち話も何だしよかったらうちに来ない？」
「あ〜でもさ、悪いけど俺もう帰んなくちゃいけないんだ。飛行機の予約しちゃてて…」
わざわざ誘ってくれたソウの言葉にきまりが悪くなり頭を掻きながら答えた。
その言葉を聞くとソウは見るからに落ち込んでしまい、股下から太い尾を覗かせる。
しかし何を考えたのか、すぐにソウの尾は背に回り顔にも笑顔が浮かんだ。
「じゃあさ、俺駅までナオを見送りに行くよ！ その道すがら色々話そうよ〜」
まぁいっか、別に断る理由もないし。
そして俺たちはさながら昔の様に二人並んで歩みだした。
視界を掠めたソウの尾先は揺れていた。
俺が実家に戻り荷物を纏めて駅に向かうまでの間、ソウは多くの事を話した。
高校での事、大学には行かなかった事、仕事の事、俺達の昔話。
俺は主に聞き役に回っていたがそれでもソウから投げかけられた問にはちゃんと答えていた。
都会での生活はどうか、とか大学は楽しいか、とかそんな事ばかり。
お互いもっと知りたい事、話したい事は数多くあっただろう、だがもう俺達に時間は殆ど残っていない。
駅に着き、時刻表を見れば俺の乗る電車があと数分で到着するらしい。
ここまででいいから、と改札口でソウに伝えたものの結局ホームまで見送りに来ると言って聞かなかった。
「あ、ナオ。あれがナオが乗る電車でしょ？」
ソウの言葉通り電車はもう俺たちの視界に収まる程に近づいて来ている。
「みたいだな。じゃあソウ、わざわざここまでありがとうな」
ベンチから腰を上げ荷物を纏める。
そんな俺の様子をソウはじっと見つめていた。
俺達以外誰もいないホームに電車が滑り込む。
「じゃあま」
「絶対、帰ってきてよ！」
俺の言葉を遮るソウの突然の言葉。
機械音と共に電車のドアが開かれる。
しかし茫然と俺はその場に立ちすくんだままだった。
「絶対、また帰ってきてよ…？ 俺、ナオを待ってるから…。」
ああ…俺にもまだ『ここ」に居場所があったんだ…。
俺はソウを見つめて、ただ微笑んだ。
そして俺は電車へ乗り込んだ。
電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出す。
動き行く景色の中でソウは、笑っていた。
少しだけ、この町が嫌いじゃなくなった。
